栃木県上三川町のAuto Service NAKADAはお客様のニーズに合ったお車を提供します。(中田 稔)

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車の事なら何でも AUTO SERVICE NAKADA へご相談ください!
中田 稔です。 自動車に惚れながら、皆さまに支えられて10年。 ちょっと私のことを紹介させていただきます。
AUTO SERVICE NAKADA
代 表:中 田  稔
 〒329-0618
 栃木県河内郡上三川町しらさぎ2丁目25-12
 電話:0285-32-7152 090-7007-3792
 E-Mail  :  mail-button        地図
中古車販売 ・ 買取 ・ 車検  ・修理
【 仕 様 】
 体 重:95Kg  ちょっと太め。3Lサイズ
 身 長:180cm  現在の身長は高め?
 肺活量:5,300ml 心肺機能良好
 生まれ:栃木県宇都宮市
 趣 味:野球・ジェットスキー・ゴルフ
 家 族:妻1人
 販売実績:510台(7年間)
school
 社会に出るまで、小学校、中学校、高校と一貫して野球少年を通しました。小学校、中学校と軟式野球の毎日に浸かり、決して強いチームではなく、いつも地区大会の2回戦で、「いつかは県大会へ!」との思いばかりの少年野球でした。勝つ事に慣れていない?チームでしたが、グアム島への遠征で現地チームとの硬式野球の試合で勝てた事は大きな思い出となっています。
その後高校野球時代は本当に辛い毎日でした。言葉では言い表せない身体的な辛さ、精神的な辛さに耐えに耐えて高校2年の時に主力メンバーでは無かったものの、チームで甲子園の土を踏めた事は、本当に嬉しく、今現在も大きな心の支えとなっています。野球という団体スポーツを通して、自分と関わる人への思いやりや、 上下関係、水平の関係を理解し、その人の特質など見極め、いろいろな、人としての眼を養えた事は私の一番大きな財産になっています。昔流の体育会系の指導ですから、今流とは大きな違いはあるとは思いますが、この間に、食いに食い、地獄の試練に耐えた事は大きな糧となって今の私を支えています。 体力・気力と忍耐力は絶対に負けないと自負しております。
start
 その後、自動車に関わる仕事に就きたいという思いから、まずは部品の事を知らねばと、地元の自動車部品の企業に営業マンとして就職しました。車業界への船出はここから始まりました。ここで5年間、ただただ一生懸命に覚えることの毎日で、ようやく自動車部品のことも大枠でわかり始めてきた頃でした。そんなときに友人から電話があったのです。
    友人:「もしもし、車探してくれない?」
    私:「え!? 俺、車屋じゃないよ! くるまの部品販売だよ。」
    友人:「あ、そ〜なぁんだぁ? でも、くるま屋さんとか付き合いあるでしょ? 知ってるくるま屋さんで探してもらってくれない?」
    私:「うん、それでいいなら探してみてもらうよ。」
そんなことで、車を探す仕事を引き受けてしまいました。そして、その日の午後に当時仕事でお付き合いのあったくるま屋さんに電話をして、訳を話し、車を探してもらうことになりました。車種は当時大ブームになりましたインスパイヤ。数日後に、車が見つかった旨の電話をもらい、すぐ友人へ連絡し、車を見てもらった結果、友人はその車を気に入り、大喜びで買うことが決まりました。車が友人へ納車された後、何日か経ったある日のこと、仕事でそのくるま屋さんを訪問しました。
    くるま屋さん:「中田君、この前はありがとうね! これ、ほんのお礼だから。。」
    私:(内心)(ただ頼まれ事をお願いしただけでこんなに、、頂いていいのかな??)
    くるま屋さん:「大丈夫! うちはちゃんとこれだけは頂いてますから。」と。。。
頭をハンマーで殴られたような衝撃でした。この一言が私の人生路を変えてしまいました。
朝早くから夜遅くまで、日曜祝日の休みで手取り20万にも満たないサラリーマンの生活の身で、このような世界があるとは想像もつきませんでした。何とかは急げの通り、それから1ケ月も経たずに退社してしまいました。絶対にこの新しい道で身をたてて見せると決意し、当時同棲していた彼女(現妻)に「俺、会社辞めたから。」と子細は話さず結論だけを伝えると「この人、何考えてるんだろ?!?」と思ったそうです。加えて、「俺、明日からくるま屋をやるから!」の言葉に、彼女の言葉は 「やるなら好きな事をやれば!」の返答。。。
ここから、辛い辛い毎日の始まりでした。
mazushii
 当然、貯金などある訳もなく、事務所も無しで身体一つであこがれの?くるま屋さんを始めました。それでも、名刺は2,000枚刷って友人やら友人の知り合いやらに配るに配り、結果は注文0件。2,3ケ月間、収入ゼロの生活。 生活のために彼女の車は売却!(ごめんなさい) 他人に車を売る商売を始めたのに、彼女の車を生活のために売るはめになるとは。。。この道で身を立てる決意と、早く決断してこの世界から足を洗う決断との葛藤の日々が続きました。 とうとう、あと2ケ月注文が無い時には再就職しようと決断しました。 知ってるお店や、今までの知り合いを訪ね営業活動らしきものをしてはいても、自動車はそう簡単には買ってくれるものではありません。 自分で課したタイムリミットの2ケ月、、その期限が刻々と迫って、心の中は焦りで一杯の毎日を送っていたころのある日、知らない携帯番号から電話があり出てみると中学時代の友人でした。中学校以来会っていなかった為に、
    私:「どうしたの?」
    友人:「くるま屋を始めたんだって?」「俺、ステージアを探してるんだけど、探してくれない?」
この友人がくるま屋NAKADAの第一号のお客様になったのです。 しかしながら、売ってみれば、利益はX万円。 これって、最初の仲介料にもなってない。???(泣)
友人の「NAKADAは安い」の口コミ(?多分)で、その後学生時代の友人からどんどん注文が入ってくるようにはなり、販売台数は増えるものの、利益は上がらない。 そんな日々が続いていきます。 自分がこの道で身をたてると決意した時の利益プランはどこへ行ってしまったのでしょう?
heart
 そこからでしょうか、私の考え方が変わっていったのは。 1台当たりの利益率を考えるのも良し、利益率が低ければ台数を沢山売るも良し!
月日は流れ、ふと、今まで買って頂いたお客様のリストを見ていると、私にとって初めてのお客様がなぜ私がくるま屋をやっているのを知っているのかが気になってしまいました。名刺も渡していないし、携帯番号も教えていないのに。。?? 思い切って電話で聞いてみました。 すると、私のある友人の一人が中田がくるま屋をやっていると皆に宣伝をしてくれていたそうなのです。 こんな生活をしていた私です。 それを聞いた時には、その友人のふるまいが嬉しくて、思わず涙を流してしまいました。(T.M君 本当にありがとう!感謝です!)
それ以降、車を買って頂いて喜んでもらえるくるま屋になろうと、今日までくるま屋を続けてきております。 喜んでもらえる商売には必ず結果が付いてくると信じていままで走ってきてます。 すでに500台を超える車をお客様へお届けすることが出来ました。 これもお客様に喜んで頂けるとの信念で走り続けた結果だと思っております。 
比較的安定したサラリーマン生活を抜け出し、棘ばかりのこの仕事を始めて後悔が無いと言えば嘘になりますが、今の自分にとっては、自分の努力と流した汗で、お客様の喜んだお顔を見ることが出来ることは、これにかわる幸せ、達成感はありません。
オートサービス・ナカダ はこれからも皆様の笑顔をエネルギーに、皆様に喜んで頂ける 「くるま屋」 を続けていきます。